すべての女性に輝く素敵な人生を

助産院プルメリア 代表

助産師 喜久山 仁美(HITOMI KIKUYAMA)


1975年(昭和50年)8月生。岡山県出身、うちな~嫁。3女の母。

今後の私の目標は、沖縄の女性が輝く人生が過ごせる様に、助産師として幅広い年代の方へサポートする事。病院とは違うスタイルで、地域に根ざし、女性たちに寄り添う。沖縄の女性たちが自分の身体を大切にし、よりキラキラ輝けることを願って、今日も素敵な女性たちのケアを行っています。女性ならではの辛さや痛みから解放され、より輝いてもらうための極上ケアサロン「助産院プルメリア」で、あなたとお会いできるのを楽しみにしています。

経歴
平成10年:岡山大学医療技術短期大学 助産学科を卒業。
平成10年~平成19年:岡山⇒宮古島⇒沖縄本島で産婦人科勤務し、分娩室・病棟・外来担当。
平成16年:JAAアロマコーディネーター協会認定取得、JAAチャイルドケア認定取得。
平成19年~平成25年:宮古島で「Aroma助産院」を開業。
平成25年4月:転居に伴い、沖縄県中部で「助産院プルメリア」を開業。
平成25年12月:「酵素風呂プルメリア本店」オープン。
令和3年5月:「母子特化型訪問看護ステーションeight」開設。

 

助産師としてすべての女性をサポートしたいから

助産院プルメリア代表・助産師の喜久山仁美が助産師を目指したきっかけや、助産師としてどのように女性をサポートしていきたいのか…といった想いを綴りました。

この道を志すきっかけとなったある助産師との出会い

幼いころから耳にしていた母の言葉、「大きくなったら看護婦さんになってね」のままに看護学校に入学しましたが、産科病棟での看護実習で運よく出産に立ち会った際に目に留まった、一人の助産師さんとの出会いが、助産師を目指すきっかけになりました。産婦さんにずっと寄り添い、楽しそうに働く彼女に、まるでスポットライトがあたっていたかのように視線が釘付けなったのをのを今でも鮮明に覚えています。

当初、「助産師=産婦人科で働いてる人・分娩介助をする人」のイメージしかなく、助産師さんは怖くて近寄りがたい存在だったのですが、笑顔を絶やさず楽しそうに働く彼女の姿に感銘を受け、「この方のようになりたい!」と強く思ったのです。この出来事が、今の私の仕事スタイルを作った原点となっています。

看護学校・助産師学校卒業後の現場は決して楽なものではなかった

助産師になりたい!と思ってからは、看護師国家試験に加え、助産師学校入学のための受験勉強に打ち込みました。当時のクラス40名中、助産師志願者は私一人。「助産師学校は厳しくて大変!」と、今も昔も変わらず誰もが言いますが、私はただただ「助産師になりたい!」と必死でした。看護学校卒業後、助産師学校に1年。私の青春は全てがこの1年に集約されていると言えるほど、とにかく楽しく、夢中に学校生活を過ごしました。

助産師学校を無事卒業した後、月120件もの分娩のある大病院で助産師として働く事になりましたが、理想とは裏腹に現実はとても厳しいものでした。現代ではありえない話ですが、分娩台の下で先輩助産師さんに足で蹴られたこともありました。時代なりの愛情教育だったとは思いますが、「イキイキとした素敵な助産師になりたい!」と言う夢とはかけ離れた現実に、よく泣いていたのを思い出します。

大好きな宮古島での経験が助産院開業の力に

そんな時、助産師学校の卒業旅行で訪れた宮古島に移住するチャンスが巡ってきました。当時25歳。若さの勢いで県立宮古病院に電話し、「働きたいです」と一言。その後採用となり、大好きな宮古島で毎日ダイビングを楽しみながら離島医療を学びました。数年後、宮古島で開業するとは予想もしていなかったのですが、ここでの経験は助産院開業に向けた大きな資産となりました。

その後、看護師である夫と出会い結婚。夫の転勤に伴い、子育てしながら沖縄県内2ヶ所の病院勤務を経験しましたが、もう一度宮古島に行きたいという私の願いを叶えてもらい、再び宮古島へ。しかし、夫婦ともども夜勤のある病院で働く事は絶対に無理と判断。子育てしながら自分のやりたい助産師業は何かと考え、家族の理解もあり、開業へ踏み出すことを決意しました。当時32歳で、第2子妊娠中でした。

助産院プルメリア誕生

2007年に宮古島で「Aroma助産院」を開業。30代での開業助産師は沖縄県内にはいなかった時代で、右も左も分からない状態からの6年間、宮古島の温かい皆さんに支えられて事故無くお仕事出来た事は、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。その後、夫の転勤で現在の中城村南上原に助産院を移転。「助産院プルメリア」と名前も変わり、新たな目標とともに歩んでいます。

開業後の私を見た方から、「お仕事、楽しそう!」との声をいただきますが、実際、お仕事はノンストレスです。最近になってようやく、看護学生時代に出会ったあのイキイキとした素敵な助産師さんに少しは近づけたのかもしれない…と思えるようになりました。これまでも、そしてこれからも、私はあの時に出会った助産師さんのように、自分自身も楽しみながら女性をサポートできる助産師でありたいと思っています。

沖縄県の助産院なら助産院プルメリア

女性の未来へ向けて 助産師・喜久山仁美からのメッセージ

時代と共にライフスタイルも環境も変化し、ひと昔前と比べると妊娠しづらくなっているという現実。妊娠したとしても身体がしんどい、生まれた赤ちゃんも育てにくい、育児が楽しくない…といった悩みを抱える女性も多く、出産・子育てに暗いイメージを持つ人も少なくないように感じます。そんな世の中を少しでも変えていきたい、女性がイキイキと生活できる環境をサポートしたいと日々想いながら、小さな力を頑張って注いでいます。

一般的な助産師業務は、病院での分娩介助、性教育、おっぱいマッサージ、母親学級などの保健指導…と多岐にわたりますが、私が「心と身体のケア」を重視したサービスを提供しているのは、それが一番、現代の女性に必要だと感じているからです。完全予約制にしているのも、あえて白衣を着用せず、病院とは違った非現実空間を演出しているのも、すべてそこにつながると信じています。

私が提供している「骨盤ケア」「ベビーケア」は、知ると知らないのでは全く人生が変わる…と言っていいほど、妊娠・出産・子育てを180度良い方向に変えてくれるものだと自負していますが、ひとりひとりの状態にあったケアをしなければ十分に効果を発揮できません。そのため、心と身体がリラックスできる空間での個別ケアを大事にしています。一人でも多くの方のSOSのサインに応えたいのです。

病院は病院としての役割があり、私達地域で活躍する開業助産師は病院で出来ない事をサポートする。双方でチームを組んでいくことが大切だと思ってますが、「助産院プルメリア」は独自のスタイルで地域に根差し、すべての女性をサポートしていく為に頑張りたいと思っています。

また、近年から貢献者育成にも協力できるチャンスが巡ってきました。助産師学生の授業・地域の実習施設としての受け入れ、未来の可愛い後輩助産師にお仕事の楽しさを伝えていますが、これらの活動は長い目で見ると、若年の望まない妊娠問題、不妊症の増加問題、異常妊娠・人工的お産の介入、産後うつ、更年期障害…といった社会問題や女性の悩みを解決してくれるのではとも考えています。

これからも私らしい助産師として働けるように、次の一目惚れを探し、それに向かって歩んでいきたいと思っています。私もまだまだ3人の娘の子育て真っ最中です。同じ子育て中のママだからこそ共有・共感できることがあるはずです。ひとりで悩まず、親しみをもって是非会いに来てくださいね。

2024年1月から「切迫早産&逆子の妊婦専門助産院」として、新たに活動しています。詳しくはこちらをご覧ください。

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